はっちゃんの、知ってる限りの春一番コンサート!
わたしの目と耳と体と心で感じた 春一番コンサートの話しを
ゆっくり、お話ししていきますね。

74年、チケットです。私の宝物です。

このチケットがHPを始めようと思ったきっかけです。

机の引き出しの中にしまってあった この黄色の半券。

私にとっての初めてのショック。

世の中にこんな歌が、私の心を見透かしたような歌たちが溢れてるのを知らなかった。

ラジオやレコードでフォークソングを聴くより 全体の雰囲気が”春一番”だった。

この半券を何気なく見てたら この気持ちを書きたくなった。

何がきっかけになって 仲間が増えていくのかわからないものです。

75年、ちらしです。これはひつじカンパニーのサンチャゴさんのプレゼントです。


わたしの”春一番コンサート”はおおきい 転機になりました。たしか73年が私の最初だったと思います。

今もなお わたしのココロには あの砂のボコリの天王寺野外音楽堂が 鮮明に残っています。

誰かと あの”春一番を話したいけど、時がたつにつれ 過去の伝説になってしました。

今も、服部緑地公園であるじゃないか といわれても わたしの”春一番”は あの 天王寺だったのです。

春一番の資料なら、その筋の人のが、いいでしょう。

はっちゃんのんは、わたしの感じた”春一番コンサート”です。

2000.9.2.~


追記:最近になって 74年と79年の映像を見ることが出来ました。

私にとって 思い出だった春一番が記憶の中では忘れてしまっていたところもありました。

その反対に、鮮明に覚えていた通りの場面もありました。

気づいたのですが、春一番の大きさは フォークとロック ジャンルは問わなかったことかもしれません。

ジャズ畑の人も いました。

そんなこと、関係なかった主催者の考え方は 今も私の考え方と同じです。

音楽を楽しむ。

その為にみんなが集まったんですよね。

主催者側は 音楽を自由に表現できる場を、お客さん側は 自由に音楽を楽しめる場を 探していたのかなぁ。

こんなに長く続いてくると、名前が一人歩きして行きそうなのに 春一番は変らないのです。

ただ、お客さんの年齢層が 私には安心な年齢になってきていますが、もっと今の若い人も感じに来て欲しいなぁと思うのです。

年齢層の厚い、春一番! いいなぁ。。。今年はそうなるのじゃないでしょうか?

2001.4.12.

春一番2001が今年も無事終った。

いつになっても なかなか書き出せないのは 私の今年の春一番が とても個人的なことでいっぱいだったから。

心の中が いっぱいになって それを消化するまでに時間がかかったように思うの。

今年も 春一番は 私達を裏切らなかったよ。

年齢層も 幅広くなったように思えるし、にこやかなみんなの笑顔は変わらなかった。

春一番は3日間。風太さんの言葉が耳に残るよ。

さぁ、次の春一番まで 楽しみな毎日が待っているね。

2001.5.21.

また、春が来た。春一番が吹いた。

今年の出演者の方々のお名前が順にあがってきている。

そう、期待の人 まだ聴いたことが無い方。

みんな楽しみたい。春一番。。。

こだわってるわけでもないけど これには参加していたい。

関西に住んでるからなのかも知れない。

引越しをしたら 私はどうするのかなぁ。と思ったりする。

随分 遠くの方も春一番に来られている。

今年の風太さんは どんなお顔で迎えてくださるだろう。

阿部さんは またみんなのことを気遣うのでしょうね。

マナーという言い方より みんなの想いなんでしょうね。素敵やね。

2002.3.22.


春一番のひとびと



天王寺野外音楽堂へのこだわり。
みんなの音楽だから。
音楽と生きることを楽しむこと。



とんがって 生きていた時代。
自由を追いかけてきた人達。
レコードがCDに代わってみても。



ディランⅡの存在
高い塀のハナシ。
手にはんこ。 共同便所?



風太さんの笑顔はいつ?
悲しいかな 野外音楽堂。
いつまでも どこまでも アイとウタを。



2000年の春一番コンサート
2001年の春一番コンサートのゆくえ
この一年を振り返って思ったこと



春一番2001 5月4日(風太さんが笑ってたよ)
5月5日
5月6日



2002年春一番



2003年春一番



2004年春一番によせて

トップに戻るよ