はっちゃんの、知ってる限りの春一番コンサート!



天王寺野外音楽堂へのこだわり。


わたしの春一番コンサートは 天王寺野外音楽堂にあったよ。

今は時代が変わっていって 服部緑地公園。ごめんね、違うの。わたしの春一番コンサートは 天王寺で終わった。

わたしは 雑誌で読んで 行ってみたかった。もう18歳になったから、自由にコンサートに行く事が出来るって。

当時、プレイガイドジャーナルや 新譜ジャーナルや 音楽雑誌を見てた。

それを知識に ラジオを友達にして、音楽情報はあった。

夢にまで見た 天王寺野外音楽堂は 見事なほど わたしを裏切らなかった。

きたない!見事に きたなかった。

天王寺には 失礼かしらと思うけど、あのホコリっぽさはなかった。 これが 天王寺なんやわ。。。

コンサートの魅力には それに出演する人たちだけじゃない、と 後に思うようになったのは 春一番からだった。

コンサートには その場所もバックミュージシャン、音響、照明、いろいろ関係があると思うの。

あの時代には あのホコリっぽい砂ぼこりが似合った。 気取る事もなかった。

あの、手の届きそうな低いステージも、大きな木も、酔っ払いさんたちも。

春一番コンサートは 考えられてそうあったのか知らないけれど、みんなが揃っていたよ。

ミュージシャンだけじゃなくって 全部が 春一番だったよ。

お客さんも 春一番だったよ。

だから、もう 服部緑地公園は 春一番じゃない気がするねん。

今は 思い出の春一番なんよね。。。

こだわってるの、わかってるけど やっぱし 天王寺の春一番が 忘れられないよ。

人間って 五感で生きてるでしょう?

音楽を聴きに行っても 座り心地、空気、隣の人、空気のにおい、、、

すべてがそろって 最高な気分になるよね。

この春一番コンサートが この全てを計算されてたのかな?

少なくとも あの時代。 時代は 計算はできなかっただろうと思う。

その服部緑地公園が いつの間にか 春一番色に染まりつつある。どうしたことなんだろうね。



みんなの音楽だから。

音楽ってね、楽しいでしょう?

何度も いろんな音楽を聴きに行くけど、”誰々の”ライブ。”誰々”のコンサート。

春一番コンサートには 誰々のが無かった。

みんなが 春一番になっていたよ。

観客も 春一番になってたよ。

聞きたくなくなったら、フランクフルトを食べてたし。。。隣とおしゃべりしてたし。。。

もっと飽きたら 外に出て走り回ってた人がいて、

昼間っから 酔っ払いさんでいっぱい。

自分のために 音楽は有ると思って 踊り狂ってる おじさん。

みんなの音楽だから、客席も 何でもやっちゃってたね。

何度も「木に登らないで!」と言われても 誰一人として 聞かない。

風太さんが 何回も 高い木を見て言ったけど、降りなかったね。

楽しい音楽があって、土の匂いがして、ついでに人間のにおいがして、、、

これで 楽しくないわけがないもの。

決まりの少ない コンサートが成立してたのは 何故なんだろう。

某Gってバンドが何人集めた・・なんて言う時代の音楽って 誰のためのものなのかな?

音楽は みんなのもの。

ステージも 客席も みんなのもの。

みんなのココロが集まって ココロを動かせるコンサートがあるんだと思うよ。



音楽と生きることを楽しむこと。

♪小便臭いプラットホームが この街にあるぅ♪

わたしは この街という 響きが好き。

この街。。。みんなそれぞれが 生きてきた この街。

音楽を好きで、初めて コンサートに来た。春一番。

友達のかおるちゃんと一緒に 春一番に来た。

大阪は 初めてといっていいほど 知らずに居た。

迷って、迷って やっとたどり着いた 初めての春一番の日。

2回目よ、って顔で 慣れた素振りで聞きに行った 春一番の日。

また、来ようね、って言いながら帰った 春一番の日。

最後だって聞いて 世の中の流れを知った 春一番の日。

そこに 大塚まさじさんが居た。

わたしは この春一番コンサートと大塚まさじさんに 出会ったことで 大きく変ったよ。

春一番の中の大塚さんは 特別だった。

少なくとも わたしには 特別だったよ。