はっちゃんの、知ってる限りの春一番コンサート!
わたしの目と耳と体と心で感じた 春一番コンサートの話しを
ゆっくり、お話ししていきますね。



わたしの”春一番コンサート”はおおきい 転機になりました。

今もなお わたしのココロには あの砂のボコリの天王寺野外音楽堂が 鮮明に残っています。

誰かと あの”春一番を話したいけど、時がたつにつれ 過去の伝説になってしました。

今も、服部緑地公園であるじゃないか といわれても わたしの”春一番”は あの 天王寺なのです。

春一番の資料なら、その筋の人のが、いいでしょう。

はっちゃんのんは、わたしの感じた”春一番コンサート”です。2000.9.2.~2001.3.19.



天王寺野外音楽堂へのこだわり。

わたしの春一番コンサートは 天王寺野外音楽堂にあったよ。

今は時代が変わっていって 服部緑地公園。

ごめんね、違うの。わたしの春一番コンサートは 天王寺で終わった。

わたしは 雑誌で読んで 行ってみたかった。もう18歳になったから、自由にコンサートに行く事が出来るって。

当時、プレイガイドジャーナルや 新譜ジャーナルや 音楽雑誌を見てた。

それを知識に ラジオを友達にして、音楽情報はあった。

夢にまで見た 天王寺野外音楽堂は 見事なほど わたしを裏切らなかった。

きたない!

見事に きたなかった。

天王寺には 失礼かしらと思うけど、あのホコリっぽさはなかった。

これが 天王寺なんやわ。。。

コンサートの魅力には それに出演する人たちだけじゃない、と 後に思うようになったのは 春一番からだった。

コンサートには その場所もバックミュージシャン、音響、照明、いろいろ関係があると思うの。

あの時代には あのホコリっぽい砂ぼこりが似合った。

気取る事もなかった。

あの、手の届きそうな低いステージも、大きな木も、酔っ払いさんたちも。

春一番コンサートは 考えられてそうあったのか知らないけれど、みんなが揃っていたよ。

ミュージシャンだけじゃなくって 全部が 春一番だったよ。

お客さんも 春一番だったよ。

だから、もう 服部緑地公園は 春一番じゃない気がするねん。

今は 思い出の春一番なんよね。。。

こだわってるの、わかってるけど やっぱし 天王寺の春一番が 忘れられないよ。

人間って 五感で生きてるでしょう?

音楽を聴きに行っても 座り心地、空気、隣の人、空気のにおい、、、

すべてがそろって 最高な気分になるよね。

この春一番コンサートが この全てを計算されてたのかな?

少なくとも あの時代。

時代は 計算はできなかっただろうと思う。




みんなの音楽だから。

音楽ってね、楽しいでしょう?

何度も いろんな音楽を聴きに行くけど、”誰々の”ライブ。”誰々”のコンサート。

春一番コンサートには 誰々のが無かった。

みんなが 春一番になっていたよ。

観客も 春一番になってたよ。

聞きたくなくなったら、フランクフルトを食べてたし。。。隣とおしゃべりしてたし。。。

もっと飽きたら 外に出て走り回ってた人がいて、

昼間っから 酔っ払いさんでいっぱい。

自分のために 音楽は有ると思って 踊り狂ってる おじさん。

みんなの音楽だから、客席も 何でもやっちゃってたね。

何度も「木に登らないで!」と言われても 誰一人として 聞かない。

風太さんが 何回も 高い木を見て言ったけど、降りなかったね。

楽しい音楽があって、土の匂いがして、ついでに人間のにおいがして、、、

これで 楽しくないわけがないもの。

決まりの少ない コンサートが成立してたのは 何故なんだろう。

某Gってバンドが何人集めた・・なんて言う時代の音楽って 誰のためのものなのかな?

音楽は みんなのもの。

ステージも 客席も みんなのもの。

みんなのココロが集まって ココロを動かせるコンサートがあるんだと思うよ。



音楽と生きることを楽しむこと。

♪小便臭いプラットホームが この街にあるぅ♪

わたしは この街という 響きが好き。

この街。。。みんなそれぞれが 生きてきた この街。

音楽を好きで、初めて コンサートに来た。春一番。

友達のかおるちゃんと一緒に 春一番に来た。

大阪は 初めてといっていいほど 知らずに居た。

迷って、迷って やっとたどり着いた 初めての春一番の日。

2回目よ、って顔で 慣れた素振りで聞きに行った 春一番の日。

また、来ようね、って言いながら帰った 春一番の日。

最後だって聞いて 世の中の流れを知った 春一番の日。

そこに 大塚まさじさんが居た。

わたしは この春一番コンサートと大塚まさじさんに 出会ったことで 大きく変ったよ。

春一番の中の大塚さんは 特別だった。

少なくとも わたしには 特別だったよ。



とんがって 生きていた時代。

♪見えないものを見ようとしたってぇ~見えるものも見えなくなってしまう♪

ひとときも その場を離れる事が出来ない程の 新鮮な音楽たち。

わたしには 全てが新鮮で衝撃的だったよ。

人生が一度だってこと、青春は戻らないってこと、信じてられなかった。

子供じみてるかも知れないけど、自分が年取っていくことなんて考えもしてなかった。

今の瞬間を生きていたように思う。

♪見えないものを 見ようとしたって~♪

このウタは ショックだった。

目を覚ましなさい!と言われた気がした。

わたしが探してきたものは、見えないものだったのかな?と 思った。

今のわたしは 見えないものも 見えるようにも思える。

けど、その意味とは違う 見えることよりも大事なこころ。

わたしの仕合わせは この時代に生まれ、この地に育って、このウタたちにめぐり会えたこと。

わたしは とんがって生きていた。

この時代は みんなとんがってたように思うの。

とんがって 自分の気持ちを色んな形で表現しようとしてたね。

だって、あの時代のファッションが一番おしゃれだったように思う。

大塚まさじさんは 細いスリムのGパンをはいていた。

お客さんは、チューリップハットに それぞれ スリムだったり、ベルボトムだったり・・・

一方では マンションメーカーのハシリが出来つつあった。

装苑の雑誌が売れ、文化服装学園から 次々とデザイナーが出てきた。

わたしは やはり学校に行きながら、文化服装学園の通信教育生だった。

みんなと一緒の服装はイヤと 自分で作った洋服を着てたりした。

春一番には ピッチリしたTシャツに ピンクのベルボトムだったように思う。

みんなの持ってる チュリップハットは それには似合わなかった。

ちょこんと 敷物をひいて かおるちゃんと座ってた。

いつか大塚まさじさんが言ってた、昔 東京だったか みんなが政治や思想を歌ってた頃、大塚さんは もう アイを歌っていた。

その時、客席からはビール瓶が投げられ「ナンセンス!」と野次られたそうだ。

今考えると 多くのシンガー達は 大きな意味のアイを歌っていたんだと思うの。

みんなに認められるようにじゃなく、とんがって。

自分の考えを伝えたくて とんがってた。

今の時代の次の世代の人たちも とんがれ!!

みんなイイ子になんて ならなくっていいよ。

自分の人生観を 私達にも見せてよ。

ちょっと 生意気な言い方になったけど、音楽ならできるでしょう?

いろんな表現の仕方が あるもんね、何でもOKの春一番スピリット。

この次の世代まで 春一番は 続いて欲しいね。

♪見えないものを見ようとしたってぇ~♪が聞こえてきた。

このウタは わたしを安心させた。

無理しなくっていいよって 聞こえた。

ホントウ・・の意味、大切さを考えさせられたよ。

わたしがこの時期に このウタに出会えたこと。

何かある度に このウタを思い出す。

春一番コンサートが休んでいる間に 春春コンサート?っていうのがあったように記憶している。

その時、金森幸助さんに再会した。

変らず、わたしは このウタに感動したよ。

わたしのウタとの出会いは これから先も わたしにどんどん影響させてきた。

それにしても、もったいないほどのメンバーが集まっていたコンサートだったね。

一人が 1時間ずつ 聞かせてくれたら・・思ったもの。

あの頃の人達って セッションが多かったです。

ハーモニーって 心地いいね。



自由を追いかけてきた人達。

自由だった。

今の方が 自由だという人も居るかも知れないけど、心は自由だったね。

春一番に来ているお客さんたちは 自由に音楽を愛してたね、、

自由を主張したくて、Gパンをヨレヨレにしてはいてたね。

お金なんてみんな 持ってなかったもん、貧乏がめずらしくなかった気がする。

決ったところで 拍手をして 決った歌の乗り方なんてなかったもの。。

一部の人が 決った踊りをしてたけど、それもその人の自由の話し。

春一番コンサートは 自由な心のミュージシャンと 自由な心のお客さんのもの。

ひょっとして、お客さんのものだった気がするのは、今も 私の中に 春一番コンサートが鮮明に想うことが出来るから。。。



レコードがCDに代わってみても。


いつか、大塚まさじさんと北畠さんと話しをしていた時だった。

わたしはレコード盤が好きだといった。だから、CDはサミシイって言うと 違うって。

その時の詳しい話しは 忘れたけど 形にとらわれててはいけないよ、って言う意味だったと記憶している。

わたしが言いたかったのは そうじゃない。

レコード盤は聞く前から 芸術だと思っていたからなのです。

喫茶店にあったように 今かかっているアルバムを飾っていた。

きっと 私以外にもそうして アルバムの表紙を見ながら 聴いていた人っていたんじゃないのかな?

聴くこと。見ること。想像すること。

CDでは 小さい事とアルバムの表紙の力の入り方が違うように思うんです。

アルバムの表紙のセンスだけで わたしはレコードを選んだ事が何回もあった。

滅多にはずれはない。

イラストも凝っていた。

帯も良かった。

春一番コンサートはレコード盤のアルバムに似ている。

音だけじゃなくて、空気、雰囲気、感覚、、、、

レコード盤をそぉっとひっくりかえして 大事に扱った。

そんな 大事に扱う心・・・忘れたくなかったん。。。




ディランⅡの存在

私にとって ザ・ディランセカンドとの出会いが無かったら・・・考えられないん。

一目ぼれって あるでしょう?

感性がすぐに通じてしまうような、そんな感じでした。

声を聴いただけで 安心できるようなそんな大塚まさじさんの歌声は私を引きつけたよ。

あの太い、甘い声質は きっと神様が与えたものなんだと思う。

ハーモニーは私たちを優しく包みこんでくれたよ。

あの時代には 早すぎたかもしれないディランセカンド。

他の人との違いは やさしさ にあった。

愛を歌っていた。

私は優しい愛がとても好きだった。

心の中の言えない言葉・・・・

♪サーカスには ピエロが 必要なのだから~~♪

心ならずも ピエロになっている自分の姿。

その私を必要と歌っているよ。。。

みんな、みんな必要なんだよって そう歌ってるよ。

みんな必要だって・・ね。

世の中の必要な人になりなさいって いつか先生に聞いたことがあるの。

そう、世の中に必要でない人って 居ないよ。

そんなディランセカンドだった。

そんな風に聞こえたよ。

音楽は聞き手のものなんだと思うことがある。

私は作った人の気持ちは 分からない。

聴いて 自分流に聴く、そんなだと思う。

その時の自分の心の状態によって、音楽は慰めてくれたり、励まされたりする。

歌は勝手に一人歩きする。

歌い手側には不本意かもしれない。

が、そんなものなんです。

ディランセカンドは 私の心の中に居てくれるよ。

大塚まさじさんは 今どんな風に思って歌っているのかな?

ひょっとして 大ファンの私が思っているのとは違うかもしれない。

でもきっと 大塚まさじさんは いいよ、って言うと思う。

どんな風に思っても、春一番はいいよって。

もし、歌ってる側と一緒なら それもいいね。

違ってても それもいいね。

ディランセカンドはもう無くなった・・・

でも いつまでも心の中に居てくれる。

♪いつまでもぉ~~ どこまでも~~抱き合って 居ようね♪



高い塀のハナシ。



誰が何の為に作ったんだろう・・・

あの高い塀。

きっと上っていない人はわかんないだろうけど、高い!!

会場側からでも2mはあっただろう。

そこをね、知らない人にお尻を押してもらって上ったよ。

高い木があって そこから無料で聴いてた人は枝があっていいのよ。

塀の上に登ってる人は幅が20cmくらいなの。

そんでもって、下を見ると・・ぞぞぉ~~~

数メートルはあった。

地面が遠くに見えたもの。

両手を離して ワイワイ拍手したいけど、それどころじゃない。

マイクで何回か風太さんが「降りてください」と言った。

で、私は上ってみたのだった。(ごめんなさい)

言う通りそこは危なかった。

けど、万が一落ちたとしても誰も風太さんを訴えなかっただろう。

今のコンサートが面白くなくなった理由に安全対策の行き過ぎがあるよね。

ココから前は入らないでください!

列を作ってください!

立たないでください!

音楽を聴きに行ってるのに まるで 小学校!義務教育!!

自分のことは責任を持って行動すればいいのにね。

いろんな責任問題でか コンサートが管理されていくのはどうかと思う。

あの高い塀は楽しかった。

言う事きかない子供のように、好きなようにしてた。

安全は大事。

でも、危険を知らない事のほうがもっと怖い。

他のことでもそう言えると思うの。

最低限のことは守るべきだけど、その常識さえあれば今のような事はないと思う。

していい事と悪い事。

みんなが学んだ春一番。?

少なくとも 私は春一番のひとつ、ひとつからいろんな事を学んだよ。



手にはんこ。

会場の外に出たい時は、今は半券を見せるでしょう?

あの時は 直接うでの見えやすい所に はんこを押すのでした。

え~~?!私は汚れるじゃない・・と絶句。

まさか、小学校の時に忘れ物をして先生に叱られて はんこを手に押されて以来のこと。

簡単なはんこを 押してもらうと 外に売ってたイカ焼きが食べられるのでした。

私達は勇気を出して はんこを押してもらいました。

お姉さんは うすく押してくれました。

が、私達にはそれが心配になったのでした。消えないかな?

どこかに擦れると 消えそうなくらいにしてくれたのでした。

わたしの 「はんこですか??」に配慮をしてくれたのでした。

イカ焼きはいかにも怪しいのです。

おなかを壊しそうなんです。。けど いいニオイ・・・

結局、会場のことが気にかかって すぐ ソソクサと帰ってきました。

入り口のお姉さんは 顔を見るなり はい! と笑顔で入れてくれました。

ホッとしました。

手にはんこは 考えると面倒なことです。

けれど、いいよね。

何となくね。

今の春一番では、半券を見せるようになっていますよね。

もう一回 春一番コンサートでは 半券を見せるんじゃなくて はんこはアカンのんかな?



共同便所?

あの天王寺のお手洗いは、たしか強烈なものだったように記憶しているよ。

たしか私の前に入っていたのは、お兄さんだったもの。

コンクリートの建物にカギがちゃんとかかるのか心配なドア。(笑)

最近の建物は お手洗いがとてもきれいで 女性の人には嬉しいことです。

でも、あの公衆便所っていうのは 凄いものがあるよね。

どうしてもの時でないと、行けないもの。

阪神淡路大震災の時には あの公衆便所が ありがたいものになった・・。

最近では、京都の磔磔もきれいになったね。

うれしような、さみしいような(?ん?どっかで聞いた?)

今となっては あの共同便所でさえ 懐かしい思い出になっている。

貧乏な時代って それなりにいいよね。

お金に代わるものが たくさんあってね、それで普通なんだもの。

贅沢になってしまった私は もうあの天王寺の公衆便所には入れなくなってるかな。

あの、小屋のようなお手洗いは 音楽堂に似合ってた。

木の椅子も似合ってた。

何もかも似合ってたような気がするよ。



風太さんの笑顔はいつ?

私は福岡風太さんの大笑いが見たい!!

心の底から ヒィ~~というような大笑いの顔が想像つかないのだ。

偏見に満ち溢れた私は 今までの春一番の中で 笑ってる風太さんを見たことがないの。

きっと、知っている人はそんなことないよ、って言うに違いない。

と 思いたい。

酔っ払いさんのおじさんや、喧嘩してるお兄さんの仲裁。

そんな風景しか目に浮かばないの。

風太さんは どんな人なんだろう。

雑誌などで春一番の話をインタビューされてるのを読んでも 笑ってるかな?と想像する。

福岡風太さん。

あのインパクトの強い人に 私は興味津津。

風太さんがコンサートの終わりに笑顔で メッセージをくれる。

なのに・・・風太さんが気になるよ。

いつか 風太さんが馬鹿笑いしてる所を目撃したら 私はどんなに仕合せだろう。

きっと 安心するに違いないもの。

21世紀の春一番コンサートには 風太さん 笑ってるかしらね。



悲しいかな 野外音楽堂。

悲しいのは 野外音楽堂。

コアラさんのお部屋と引き換えに無くなっちゃった音楽堂。

人間が集まって作ったコンサートをするにはピッタシの天王寺公園、屋外音楽堂。

私は残念でならない。

新しいきれいな施設の建物が出来ることは素敵だと思うの。

けど、だからといって何でも新しくするのは残念だよね。

みんなの屋外音楽堂はいろんな歴史があったと思う。

それを残していく技術も文化なんだとおもう。

いつの間にか 野球場はコンサートホールに化けるようになった。

大勢の人が集まったら いいコンサートのように言われるようになった。

見極める力。

今、私達に問われていると思う。

ホントウのものは何だろう。

21世紀になって、今からまた始めたらいいよね。

コアラさんもカワイイけど、無くしてはいけないものは取り戻せないよ。

座り心地が悪ければ、お座布団を持っていけばいい。

飲み物が欲しければ、水筒があるじゃない。

コアラさんが見たければ、オーストラリアに行けばいいし、絵本の中でもいいじゃない。

音楽はリアルタイムで聴くことが とても大事に思うの。

その場に居られない人は 次のチャンスがあるよ、きっと。

続けていく事の大きさは 凄い。

春一番コンサートはあの屋外音楽堂が似合っていたね。

似合い過ぎて困ってしまうんでしょうね。

コアラさんに退かされた音楽堂。。。



いつまでも どこまでも アイとウタを。

大塚まさじさんの歌に♪いつまでも どこまでもぉ~~抱き合っていようよ♪がある。

大塚さんがサインする時に この言葉をよく使う。

そう、いつまでも。

どこまでも。

アイとウタを・・・・

全てがこの言葉で 表現できるんじゃないかと思う。

♪始めて君に会ったのは 雨のこの街で~♪

この街が天王寺なのだ。

♪今日も誰かめぐり会い 別れるこの街で~~♪

このウタと共に これからの春一番コンサートを聴きつづけたい。

いつまでも・・・

2000年の春一番コンサート


2000年の春一番コンサート、年にも負けず 頑張った!何をって?暑さ!!と日焼けです!!

もう、若者とは言いにくい年齢となった私は 準備してあった タオルで頬被りをして 聴いたのでした。

トップを飾った サザンブリード、この人たちとは8・8ロックデー以来のご対面でした。

「どや、関西はええやろ?」と えげつない言葉で自慢したくなるような再会でした。

この日は大塚まさじさんのを聴くのが目的だったのですが、矢張り 春一番。

のっけから 懐かしさに感動。。。

私は耳が弱いので 大きな音は苦手です。野外はいいですよね・・・聴きやすいんです。

カッコよかったのは 有山じゅんじさん。真っ黒の衣装に 怖い系の男っぽい系の感じでした。

面白い系のんも好きやねんけどなぁ。

中島らもさんに関しては、蝋人形だったと 今も信じています。あれ、本物の人間らもさんだったのでしょうか?

今年も恒例のヨッパライさんの登場。(笑)みんな慣れてるって感じで・・・

中に私が初めてだった 若いバンドの人たち、素敵で新鮮でした。あの人たち、先輩方をどんな風に思ってるのかなぁ。

みんな、心に残る歌を歌ってね、お客さんは 私みたいに何十年(オーバーな!)も 心にこの時間の記憶を残していくんだよ。

私が この日 最高にうれしかったのが 金子マリさんと石田長生さん。♪ハ~ッピィネスゥ!!♪

金子マリさんは 私の一番の憧れの女性ヴォーカリストなんです。

余裕の声で 楽しそうにうたうのです。カッコいい!!ったらありゃしない!

あんなに暑かった会場も 加川良さんの頃には 寒くなってきました。体に堪えるよぉ。

今、思い出しながら やっぱし 2001年も服部緑地へ行きたい!と思ってるのです。

風太さん、春一番って 麻薬です。。。

>2001年の春一番コンサート


風の便りで今年の春一番コンサートは ミュージシャン提案型らしいのです。

自分でこういうのをしたいという想いがある人たちの集まりらしいのです。

その中にながいようさんが入っている事に 私は本当にうれしく興味が湧いてきます。

ながいさんは私達に何を伝えてくれるのだろう・・・。

きっと、私達に伝えたいものがあるのでしょう?待ってるね。