私のお願いで、福岡風太さんのサインをいただいた。
ニコニコと笑いながら 「まだ右手がちゃんと うまく動かなくて・・」と話してくださいました。
書きにくいのに 快くサインしていただいてありがとうございました。
HPにアップしてもいい了解も簡単にいただいた。
しっかり 勉強します!風太さん!(笑)

春一番2001 5月4日(風太さんが笑ってたよ)

わくわくドキドキ 春一番の日が来たよ。まだまだ・・って思っていたのに今日の日がやってきた。

朝、会場前で HPで知り合った人に出会った。

みんな名札もないのに すぐに分かったよ。

この瞬間が 怖かったのだけど みんなの笑顔で 一気に吹き飛んだよ。

不思議でした。

順番に あの人、この人・・・お互いにちょっと照れながら 名乗り合った。

笑ってしまうよね 挨拶なんだけど みんな ハンドルネーム。(笑)大の大人がかわいい”ちゃんづけ”。

普通の挨拶では聞けないような 挨拶風景だったの、私なんて『はっちゃんです!』ですから。

自分で名乗りながらも 恥ずかしいものでした。

HNは 人の年齢も職種も男女差も無くしてしまうような感じがした。

みんな 可愛い名前で 呼び合った。ひょっとすると オソロシイ風景だったかもしれない。

開場の前に もう 私たちの春一番が始まっていました。

会場は時間どおり、開園された。入り口を抜けていくと 

そこに風太さんが松葉杖で立っていらしゃった のでした。

ニコニコした 風太さんの笑顔・・あの病院の写真からは 想像もつかないようなお元気そうな姿。

会場に入るなり 一番に目に入った。

風太さんは立って 私達がぞくぞくと入っていく様子を うれしそうに 穏やかに 見守ってくれたのです。

思わず「風太さぁ~ん!」呼んでみたら 笑って手を振ってくださった。

私は あの風太さんの笑顔 それだけで 心が 春一番になってしまいました。

あの大事故の後、みんなは春一番公式サイトで 応援したね。車椅子で来られるか否か・・・という情報。

どうなるのかなぁって心配してたのが 一気に吹き飛んだ瞬間だったよ。

2日目も ビップ席?に座っていらして また「風太さぁん!」と手を振ってしまった。

これは 私のキャラクターにない。なのに 自然に手を振った。

浮かれてたんですね、私。

ハイテンションの私は 自分じゃないように思いました。

いろんな人と挨拶をしたのは 何年振りだったかな。と思った。

一人で 気ままにライブを楽しむのが好きだったのに、今年は随分違う。

新しい友人が大勢居たのでした。

緊張症が出ないように 朝からおまじないをして ハイテンションの私は 何故か ニコニコ平気だった。

私の春一番は お目当てのミュージシャンだけじゃないことが よく分かった。

この雰囲気なんだって。

自由な 温かい この雰囲気にで ボンヨリィ~っとしているのが好きなのでした。

順番に出てくる 素敵なミュージシャンの音は 気持ちよく ビールを飲ませてくれる。

このウタは・・・っていうこともあるけど、その時はCDを探しにいく時間。(笑)

人それぞれで 何で今 動くの!と思う時もあったし、

その反対で私がCDのお買い物の時に かぶりつきがにぎわってることがあったの。

ココが面白いなぁって思った。

私が楽しみにしていた 押尾コータローさんは 天下の高田渡さんの素敵なステージの後だった。

矢張り 高田渡さんの 生活の柄 は 永遠に不滅でした! 

大勢のおじさん、おばさんは 大声で歌ったのでした。勿論 私もその仲間。

若者へ続け この春一番!!

押尾さんだ!

高田渡さんアンコールの声が鳴り止んですぐだった。

ニコニコと笑顔で 出てこられた。走って かぶりつきへ!

「押尾さーん!!」押尾ファンになりたての私は 大声で叫んだ。がんばれー!!って思った。

そんな心配は すぐに吹き飛んだ。

最初の「戦場のクリスマス」が始まったとたんに 会場のみんなの心を持っていってしまったから。

私は 気持ちよく ギターの音に聞き入ってしまった。

気がつくと お気に入りの一人メンバー紹介が始まった。

もう、ここまで来たら 押尾さんのもの、拍手も声援もすごくなっていた。

押尾さん 今度は単独のライブに行きますね・・・と思った。

春一番には馴染みのミュージシャンが大勢いらっしゃる。

新しく出演される方は きっと 大変だろうなぁって 思うところがあった。

でも そんな心配なんて 押尾コータローさんには 大きなお世話だった。


私の大好きな 大塚まさじさんは 初日 お日様がやさしくなる頃 出られました。

去年も良かったですけど、今年のまさじさん 素敵でした。

”町の川” 大好きなウタ。それに続き ”男らしいって分かるかい”自然に大きな歌声が聞こえてきた。

急遽 坂田明さんと 島田和夫さんの参加だったそうだ。 かぶりつきに居た私は 後ろから聞こえる みんなの声が響いてきたの。

男らしいってわかるかい このウタは 何回聴いても 心に響くウタだと思う。

涙があふれそうなくらい この 男らしいってわかるかい は 空気を変えた。

それぞれ みんなの心の中に 春一番が甦ったのかな。

時の流れを 思い出したのかな。

西岡恭蔵さんを 思い出したのかな。

春一番にゾウさんの姿が見えなくても ゾウさんに届いたかな。

ゆったりとした大塚さんのステージに 春一番に来て良かったって そう思ったよ。

存在感のある 大塚まさじさんのウタに ココロがやさしくなれた気がしたよ。



5月5日

今日は 昨日の続きで 何となくのんびりした感じでした。

一日を最後まで居られたので ちょっと安心した感じで。そんな風に 緊張していたんです。

昨日のような 緊張感はなく 出演者の方々のニコニコ笑顔だけでも 楽しく過ごしたよ。

2日目のながいようさん ゾウさんの追悼コンサート以来のライブだった。

あの時と同じように 帽子を深ーくかぶって とつとつと歌われたよ。

昔と変わらない あの 遠慮がちなシャイな感じで。

なのに ながいさんって すぐわかったのは どんな光線を発しているんだろうね。

見果てぬ夢を 歌ったのは ゾウさんの追悼ライブのバナナホールで聴いた曲ですよね。

私も あんな何気ない風景が欲しいもの。

カンカン照りにはならなかったけど ジンジン焼けていくのが分かった。しみ、しわ、・・・不安。

時間は ゆっくりとしていた、昨日より・・


CUM’CUM’のね、出番になった

♪ ゆるされない 恋なんて 一体何のことだ・・♪

河内博さんの歌詞は 素敵に木村充揮さんのヴォーカルを生き生きさせて すごかったよ。

私は CUM’ CUM’のウタに 涙が出そうになったよ。

愛を 恋を あんなに素直に表現できるなんて・・・。

恋は素敵 ほんとうに。

風太さんは アチャコさんと 一緒に踊ったのです。松葉杖を振り振り。。あのお立ち台で。

華やかな音のなかに ラブソング。。。そうよね・・・そう思いながら 聴いたよ。

毎年のように 客席にミュージシャンの方が 見かけられる。

いつもの 春一番の 春一番らしい風景やね。

聴きたいウタは すぐに終ってしまう、春一番は 残酷やわ。

一日が100時間あったら 春一番、満足できるかな。

春一番が あと20年続いたら きっと 本物のお医者さんと看護婦さんの待機してるテントが出来るやろね。(笑)

それでも、集まりたい 春一番。

5月6日

今日で最後なんやなぁって思いながら あの駅からの坂道を急いだ。

そう、6日は体が重く 朝起きられなかった。ギリギリの時間になってた。

初めがあれば おしまいがあるけど いつになっても こういう気持ちは寂しいね。

春一番は どんどん 過ぎていった。

暑い日差しは 6日が一番だったかもしれない。

朝から ビールで 頭を冷やしてね。(笑)

偶然、ながいようさんが 隣にいらっしゃったの。ながいさんは バナナホールのことを覚えてくださっていた。

私はゾウさんの追悼ライブのバナナホールでお会いしてから 始めてだったのです。

嬉しかった、ホントウに嬉しかった。ながいさんが また 音楽の場に出てこられるか 迷っていらっしゃるという話だったから。

私は ながいようさんのウタが聞きたかった。どうしても 戻って欲しかった。それをお願いした。

その事を覚えてくださってたのです。

4日に唄われたウタの歌詞を教えていただいた。”見果てぬ夢”っていうウタです。

ながいさんは また 活動されるそうです。言葉を選びながら唄うように”見果てぬ夢”のウタ・・

私も 見果てぬ夢のような 素朴な人生を歩みたい、そう思った。

出会いは すぐ傍にあった。ながいさんの席に 佐藤GWAN博さんが来られた。

先日、HPに書き込みをしていただいたので、名乗った。笑ってくださった。うれしいことがいっぱい。

そうしたら 書き込みを再度くださったの。

[407] 会えましたね、はっちゃん! 投稿者:GWAN -4-

投稿日:2001/05/08(Tue)00:17  
 
見知らぬ女性から紙を渡された時は、スタッフが「そろそろ出の用意を」と告げに来たのかと思いました……ら!<はっちゃん>だったんですねえ。嬉しいことに(笑。
柔らかでセンシブルな感じのはっちゃんに、「へええ……」と感じました。僕は、もっと活発な女性を想像してたんです。
プロフィールに「上田としこの漫画」とあったのを、「土田よしこ」と間違えてたんですね。『つる姫じゃ~』の(爆笑。
たしかに、あの大音響の中では筆談のほうが正解ですよね。お互いの声が聞き取れず「え?なに?」なんて、いちいち聞き返してるのはみっともないもの
それに、初対面なのにいきなり頬寄せ合う形になるのもマズイし(笑。
あの自己紹介の黄色い紙は、新しい友人との出会いの記念としてとっておきます。
知り合えてよかった。

ココは私の記念として 消したくなかったの。

違う所に保存したらいいんだけど、今んとこ ココに置きます。

春一番コンサートから 最後のセッションがなくなったのは どうしてなのかな?

そう、阿部さんが ある人のステージの後 上から大声で スタッフを叱った。

お客さんの前で 踊っていたらしい。きっと それだけじゃなかったんだろう。

子供のようなスタッフを 使い切るには 厳しいあのお言葉が必要だったんだろう。

私は 阿部さんの お客様に対する心使いに嬉しかったのと共に 小気味のいい怒鳴り声を久しぶりに聞いた。

最近、大人が 子供に いい意味で 怒鳴るのを聞いたことがない。

真剣なあの叱責は きっとあのスタッフの子達には 何よりもの収穫だったに違い無い。

阿部さんの 大人の真剣な目は 本当に春一番を愛していらしゃるんだなぁって、カッコ良かったです。

私、気持ちがスッキリしたよ。

福岡風太さんは 最初の日に『春一番は3日間やで』 その意味がわかる 3日間だったよ。

みんなの 春一番 また 来年もあるだろうけど この2001年は 一回きり。人生と一緒。同じものはない・・・。

私達は自分で 春一番に区切りをつけなくてはいけないよ。

胸がいっぱいで・・・暗くなった帰り道を ゆっくり、ゆっくり歩いて帰った。

3日間を通して

言葉なんかじゃ 言い表せない気持ちが いっぱいになったよ。

この3日間、ココロは 心配も不安も、思い出も、期待も楽しみも いっぱいだった。

私がこんなに仕合せなのは 音楽が好きでいられるから。

3日目になると 会場がとても和んできたように思った。

私はぼぉーっと 音楽に浸りこんだ。

何年ぶりなるだろう。連日の春一番は。

歌の題名も ミュージシャンの名前も いい加減でよかった。

ひたすら 音に包まれる時間が素敵で、時間を考えずに ぼぉーっとした。

日ごろの緊張から 解き放たれたこの一瞬、一瞬が 私の中では いろいろな革命が起こっていた。

学生時代に戻ったように、心の底から 楽しかった。

人に会うことに不安を感じていたことなんて あの空間では どうでもいいことだった。

ここに居る。それだけで いい。

春一番のその場に居ることに 意味があった、と気づいた。

理屈じゃなく 感じることが 春一番だった。

何もかも ここに居て この時間を過ごすこと、なんて素敵なんだろう。

いつか 気に入らなくなっても、自分で感じて見届けたい。

こんなこと思ってるから 風太さんと阿部さんと 最後まで 自分の耳と目と心と体で感じていくよ。

もう、噂というか風太さんあたりから 面白い噂が流れてくる。

風太さんが 春一番をしていくことが出来るのは 数回だとおっしゃってるらしい。

だから、思いっきり 好きなことをするとか・・・。面白そう。

何をしでかしてくれるんだろ。(笑)

ゆっくり 書き加えていきますね。また、一年かけて。

今年の春一番は 音楽に出会っただけじゃなく、大勢との出会いがあった。

きっと 忘れられない 春一番になるだろう。

来年の 春一番は どんな私が 行っているんだろう。

毎年、毎年 春一番は私に何かを教えてくれる。

卒業することのない 春一番 が 私は好き。

東京の春一番の噂が流れてきて・・・

この噂は 前から 何となくあった。

すごくいいなと思う。東京は矢張り 大勢の人が集まっていい。

春一番を、もっともっと みんなに感じて欲しいもの。

ただね、何回も休暇を取れない私は・・行けないと思う。

フイルムコンサートも いいな。これは 自信があるところからの情報。

風太さんは もうアカンと言いながら 活動的やなぁ、って思う。

したいことをする、いいなぁ。

行動に移してしまう、いいなぁ。

私は・・・。

9月にするのは 秋一番なんだろうか、、コンサート名の情報が入ってこない。

とにかく、春一番には 東京組が大勢出ているから 東京は喜ぶだろう。

そこに 大阪を持っていって欲しいな。

行けることが出来たら・・・夢やわぁ・・・