はっちゃんの、知ってる限りの春一番コンサート!


とんがって 生きていた時代。

♪見えないものを見ようとしたってぇ~見えるものも見えなくなってしまう♪

ひとときも その場を離れる事が出来ない程の 新鮮な音楽たち。

わたしには 全てが新鮮で衝撃的だったよ。

人生が一度だってこと、青春は戻らないってこと、信じてられなかった。

子供じみてるかも知れないけど、自分が年取っていくことなんて考えもしてなかった。

今の瞬間を生きていたように思う。

♪見えないものを 見ようとしたって~♪

このウタは ショックだった。

目を覚ましなさい!と言われた気がした。

わたしが探してきたものは、見えないものだったのかな?と 思った。

今のわたしは 見えないものも 見えるようにも思える。

けど、その意味とは違う 見えることよりも大事なこころ。

わたしの仕合わせは この時代に生まれ、この地に育って、このウタたちにめぐり会えたこと。

わたしは とんがって生きていた。

この時代は みんなとんがってたように思うの。

とんがって 自分の気持ちを色んな形で表現しようとしてたね。

だって、あの時代のファッションが一番おしゃれだったように思う。

大塚まさじさんは 細いスリムのGパンをはいていた。

お客さんは、チューリップハットに それぞれ スリムだったり、ベルボトムだったり・・・

一方では マンションメーカーのハシリが出来つつあった。

装苑の雑誌が売れ、文化服装学園から 次々とデザイナーが出てきた。

わたしは やはり学校に行きながら、文化服装学園の通信教育生だった。

みんなと一緒の服装はイヤと 自分で作った洋服を着てたりした。

春一番には ピッチリしたTシャツに ピンクのベルボトムだったように思う。

みんなの持ってる チュリップハットは それには似合わなかった。

ちょこんと 敷物をひいて かおるちゃんと座ってた。

いつか大塚まさじさんが言ってた、昔 東京だったか みんなが政治や思想を歌ってた頃、大塚さんは もう アイを歌っていた。

その時、客席からはビール瓶が投げられ「ナンセンス!」と野次られたそうだ。

今考えると 多くのシンガー達は 大きな意味のアイを歌っていたんだと思うの。

みんなに認められるようにじゃなく、とんがって。

自分の考えを伝えたくて とんがってた。

今の時代の次の世代の人たちも とんがれ!!

みんなイイ子になんて ならなくっていいよ。

自分の人生観を 私達にも見せてよ。

ちょっと 生意気な言い方になったけど、音楽ならできるでしょう?

いろんな表現の仕方が あるもんね、何でもOKの春一番スピリット。

この次の世代まで 春一番は 続いて欲しいね。

♪見えないものを見ようとしたってぇ~♪が聞こえてきた。

このウタは わたしを安心させた。

無理しなくっていいよって 聞こえた。

ホントウ・・の意味、大切さを考えさせられたよ。

わたしがこの時期に このウタに出会えたこと。

何かある度に このウタを思い出す。

春一番コンサートが休んでいる間に 春春コンサート?っていうのがあったように記憶している。

その時、金森幸助さんに再会した。

変らず、わたしは このウタに感動したよ。

わたしのウタとの出会いは これから先も わたしにどんどん影響させてきた。

それにしても、もったいないほどのメンバーが集まっていたコンサートだったね。

一人が 1時間ずつ 聞かせてくれたら・・思ったもの。

あの頃の人達って セッションが多かったです。

ハーモニーって 心地いいね。



自由を追いかけてきた人達。

自由だった。

今の方が 自由だという人も居るかも知れないけど、心は自由だったね。

春一番に来ているお客さんたちは 自由に音楽を愛してたね、、

自由を主張したくて、Gパンをヨレヨレにしてはいてたね。

お金なんてみんな 持ってなかったもん、貧乏がめずらしくなかった気がする。

決ったところで 拍手をして 決った歌の乗り方なんてなかったもの。。

一部の人が 決った踊りをしてたけど、それもその人の自由の話し。

春一番コンサートは 自由な心のミュージシャンと 自由な心のお客さんのもの。

ひょっとして、お客さんのものだった気がするのは、今も 私の中に 春一番コンサートが鮮明に想うことが出来るから。。。



レコードがCDに代わってみても。


いつか、大塚まさじさんと北畠さんと話しをしていた時だった。

わたしはレコード盤が好きだといった。だから、CDはサミシイって言うと 違うって。

その時の詳しい話しは 忘れたけど 形にとらわれててはいけないよ、って言う意味だったと記憶している。

わたしが言いたかったのは そうじゃない。

レコード盤は聞く前から 芸術だと思っていたからなのです。

喫茶店にあったように 今かかっているアルバムを飾っていた。

きっと 私以外にもそうして アルバムの表紙を見ながら 聴いていた人っていたんじゃないのかな?

聴くこと。見ること。想像すること。

CDでは 小さい事とアルバムの表紙の力の入り方が違うように思うんです。

アルバムの表紙のセンスだけで わたしはレコードを選んだ事が何回もあった。

滅多にはずれはない。

イラストも凝っていた。

帯も良かった。

春一番コンサートはレコード盤のアルバムに似ている。

音だけじゃなくて、空気、雰囲気、感覚、、、、

レコード盤をそぉっとひっくりかえして 大事に扱った。

そんな 大事に扱う心・・・忘れたくなかったん。。。